アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界

音楽
01 /02 2011
アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界
(2010/09)
菊地 成孔、大谷 能生 他

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あけましておめでとうございます

この年末年始は仕事のことを考えるわけもなく
娘とかるたやトランプしたり
ナマッたら外出して深呼吸したり

年末年始のテレビには目もくれず
GalaxySやiPadをいじりつつ
本を読んだり
録り溜めたモーツアルトのビデオを観たりして
思いや考えをクラゲのように浮遊させながら
過ごしています。

「MJ没後」のMJとは、マイケル・ジャクソンのことです。
本の内容は
例によって菊地成孔と大谷能生がお題を提示し
その界をよく知る人と対談形式で
慶応大学で講義を行ったものをまとめたものです。

教訓のようなものはないです。
2008年に行われた講義が
たまたま2010年をそのまま言い当てていたという。

日頃「今の若いのってなんでああなんだろうね」
「ニコニコ動画って」「村上隆はどうなの」「EXCILEっていいの」
と思っていることが
現象的、表層的にとらえられるだけでなく
その根っこや歴史まで掘り下げることで
理解することに“トライ”しようとするものです。

翻って“大人”はどんな歴史を経験し
たった今、こうなっているのか。
MJに共感する理由も少しわかってきます。


さて、僕がなぜこうした本を読むかと言えば

(文中190ページ下段の引用)
「すべての芸術は音楽の状態に憧れる」という有名な言葉がありますね。
イギリスの芸術批評家・ハーバード・リードの言葉です。
要するに音楽というのはいろいろな表現形式の中で最も純粋で、
最も意味などに還元できない。
それゆえに、小説家も絵描きも音楽的なものを書きたいという人がとても多い。
音楽というのは何かを表現している、その「何か」そのものだからですよね。
「何か」そのものになってしまっている。
つまり、イデア論で言えば、「イデア」「現実」「表現」とあるとすると、
音楽は最も「イデア」に近いわけです。
だから音楽というのは必然的に「現実」を孕んでしまうというところがある。

というようなことを大学時代
ちょうどオリジナルの曲を作ってみた頃から
考え続けているからかもしれません。

このブログで紹介しているCDも
その年に発売になった音楽です。

今年はどんな音楽に出会うかな?



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